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2016/08/15

本を読む姿そしてアートを観る姿

私の思う女性がとても美しく見える姿に「アートを観る姿」と並んで「本を読む姿」があります。電車の中でスマホをいじる姿より本を読む姿の方が断然美しい。かく言う私も暇つぶしに電車の中で携帯をいじる大多数のうちの一人ではありますが、やはり本を読む姿は男女を問わず知的で美しい。そういえば以前地下鉄の隣に座った”髪の毛の茶色い今どきの”若い男性が、おもむろに取り出した文庫本が「砂の女」だったことがあり、私の中の好青年探知機の数値が瞬間急上昇したことがありましたっけ(笑)。

本もスマホも文字を目で追うという意味では同じ行為なのに(ゲームをなさっている方は別として)なぜ前者は知的で美しく見えるのか、、、いつもそんなぼんやりとした疑問を持っていたのです。

先日パリ郊外で在仏日本人マダムに向けてのそれは素敵なお料理教室を主宰なさってるkanakoさんとお目にかかる機会がありました。彼女は12歳になる双子の女の子ちゃんのママン。お穣ちゃま達はご両親とも日本人ですが、生まれも育ちもパリのためそこはかとなくフランスの空気を纏ったとってもとっても可愛い女な子たちなんです。何代か続かないと認められない京おんなと違い!?(笑)小さいながらも彼女たちは正真正銘立派なパリジェンヌ♡

大人3人でお茶している間も、小さなパリジェンヌちゃんたちは日本語の文庫本を静かにそして熱心に読みふけっています。その姿は小さいながらも凛としていてとても美しい。2人のいで立ちはお揃いのギンガムチェックのワンピースにこれまたお揃いの小さなバスケット、、、帰り際に「バッグになにが入っているの?」と尋ねたところ恥ずかしそうに中を見せてくれました。中には文庫本とハンカチと眼鏡が整然とそしてギュッとコンパクトに入っていて、なんだかとっても可愛い。。。

後からそんな姿を思い返してみて、そうか~そういうことか~とちょっと私なりに思ったことがありました。普段フランス語で生活していて、日本語の本を読む、、、それは普通に日本語だけで生活している中で日本語の本を読むより、もっと追及していくというか、探求していく努力が必要なんじゃないかって。そんな中で物語を理解し想像するというとても深い読書をしてる気がしたんです。

そこではたと気づきました。なぜ携帯より本を読む姿が美しいのか?そこにはなにかを自らが感じ取ろうという姿勢があるかないかではないでしょうか?つまり携帯では情報を得るという一方的な文字の読み取りがほとんどですが、本を読むという行為は自ら入り込んでいって文字を読み取り、その世界を想像し、何かを感じ取るという、何段階にも及ぶ行為ではないのかと。なので顔もおのずから引き締まり思索している表情になってくる、、、そんな気がしません???

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そう思うとアートを鑑賞するという行為もかなり似通っている気がしてくるのです。ことに現代アート鑑賞は慣れるまで少しばかりの忍耐となんだかわかんないものと向き合っているという漠然とした不安感が付きまといます。作品を前に作家の想いを感じ取る努力をし、想像し、自分とその作品との関係性を確認しようとする。(関係性と言ってもつまりはその作品が自分に訴えかけてくるか否か、好きか嫌いかで良い訳ですが、、、)それって受け身ではありえない行為であり、自分から感動を受け取りに行くという姿勢が問われます。その結果心の中に深い感動が財産として蓄積されていく。それは深く心に残る本を読んだ感じに似ている気がします。

秋の私のイベントでは上質なアートを前にあれこれ想いに巡らしながらご自身の中で難しく考えることなく想像トリップしてください!(私は常に妄想トリップ、、、)会場中がそんなゲストであふれたらなんて素敵でしょう!もちろん大好きな作品を見つけたらご自宅でもその感動を味わえるようご家族の一員に加えてあげてくださいね!!!(笑)

*インスタグラムも是非覗いてみてくださいね!
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