10周年企画(5)なぜこの仕事を始めたのか編
さてその頃の私の行動はIC仲間には不審に思われていたことでしょう。でも普段一緒に働いている訳ではないので誰にも気づかれることなくアートの仕事への準備を進めることができました。別に秘密にするつもりもなかったのですが、なにしろ自分でもどうなるかわからない状況だったので、中途半端にみんなに話しちゃって実現しなかった時に嘘つきって思われるのが嫌だったのです。昔あるお客様に「物事を起こす時は自分の手のひらに乗ってから人に話すのよ。」と言われたことがあるのですが、それも頭のどこかにあったかもしれません。
自分なりに足固めをしていきながらしばらく過ぎた時ついに皆に宣言したんです。あれは確か泊りがけの忘年会の時だったと思います。
「私、コーディネーターは辞めてアートをインテリアにコーディネートする仕事をしようと思うの。」しばらくみんなポカ~ンて感じ。ついに私も奈良でのストレスに負け頭のねじがどうにかなっちゃたんだと全員思ったんでしょうね。
しばらくの沈黙の後、誰かが「いやいやそれは仕事にするには無理でしょ。。。」と言ったところで話は終了。でも後に彼女たちが私の仕事の良き理解者となりずっと助けてもらうことになります。
自分なりに覚悟を決め前に踏み出した時から今までのことが嘘のように幸運なことが続くようになりました。
さあ、ここまで来たら最後まで読まないとね!続きをどうぞ!
そんなこんなで私としてはすっかりIC稼業から足を洗い(?)会社との契約を解除する気満々だったのですが、とにかく皆に止められました。そりゃそうですよね、どうなるかもわからない仕事のために今までのキャリアを全部捨てるわけですから。何度も”もう辞める宣言”した後「そりゃそうだ、今辞める訳にはいかない。」と腹をくくりました。最悪の状況だからこそ踏み止まらなければって。アートの世界に飛び込むにしても”負けて”行くのと”勝って”行くのは全然違うと考えたのです。その頃には私は神戸のピヨピヨIC時代の人間とは全く別の人間になっていました。
そのあたりから目の前がパ~ッと開けたような感じがあって次々と良い仕事が舞い込みました。その一番最初が大阪にあるモデルハウスのコーディネート。モデルハウスって皆がやりたい仕事なんです。他の会社に比べて桁違いのインテリア予算を持たされ普段なかなか使えないようなものを使う楽しみもあるし(もちろん責任重大だし本社の意向もあるから好き勝手はできませんけど)なによりその後何年かのアテンド(ICの指名)の行方を決めることになるからです。私は幸運なことに割と早い時期からモデルハウスを担当させてもらったんですが、管轄外である大阪のそれを担当する役目が自分のところに回ってくるなんて思いもしなかった。
で、その時私は思いついたんです。アートをいっぱい入れちゃおうってね(笑)。当時モデルハウスの打ち合わせではICのこだわりがさく裂して会社のオジサマたちと一発触発ムードなんてことも往々にしてありました。でも私の場合そんな目論見があるもんだから打ち合わせでもICの天敵のようなパワハラオヤジ(ごめんあそばせ!)相手にず~っとニコニコ「そうですね~おっしゃる通り!」「はいはい変更しますよ~ノ~プロブレム!」てな感じで気持ち悪いことこの上ない(笑)。だけど家族の設定を考える時だけいきなりキリッと豹変しました。(モデルハウスではその都度「施主は50代の会社経営で、趣味はこれこれで~」なあんてお花畑の家族のような設定をしてそれに合わせてコーディネートするんです。)
「施主は現代アートに興味を持ち始めたばかりのコレクターです!今までにない設定なんでこれでいきます!」と有無を言わせず宣言したもんだから、ここでも一同ポカ~ン。パワハラオヤジも私のあまりの威圧感とぶっ飛び方に気おくれしたらしく、訳のわかんない内にその設定で話は進んでいくことになりました。
インテリア予算ぎりぎりのモデルハウスではありましたが、私としては満足満足といった感じで完成。それを皮切りに信じられないくらい素晴らしいお客様たちと出会うことになります。(もちろんそれまでにも素晴らしいお客様達には出会っていますが。)
ここでよく登場いただくAちゃん先生、C子さん、K代さん、T美さんといった友人としても親しくお付き合いさせていただいている素敵女性たちにはみんなこの頃出会っているんです。
なんていうんでしょう?最後の打ち上げ花火とでもいいましょうか?インテリアの神様からアートの神様への引継ぎのセレモニーとでもいいましょうか?「まあ、根性だけは鍛えといたから、アートの神さん後はよろしゅう頼んだで。」てね(笑)。
いろいろあったけれど、最後には心の底から会社に感謝の気持ちを持つことができ、その時にやっとちゃんと辞める決意をしました。私はとても良い会社に育ててもらったんだな~と今では本当にそう思っていますし、その頃の自分がたいそう生意気でうぬぼれでなおかつ感じの悪い人間であったことを十分に反省しています。このブログで感謝の気持ちを表すことが多いのですが、それって私の中ではきれいごとではなくかつての失敗からの教訓なんです。感謝の気持ちを持つこと、謙虚でいること、そして誠実であること、その3つはこの時代を顧みた時にぜったい忘れないようにしようといつも肝に命じています。
そんなわけで数年間は2足の草鞋を履いていた生活でしたがアート1本で勝負することにして休業を申し出ました。その会社では休業制度があり、出産や病気などの場合にはそれが認められていました。ただそれ以外の理由で休業した場合は過去の例から見ても復帰は難しいことを知っていたので覚悟の上の休業届です。なぜ猶予期間を持たせたかは戻るかもしれないといった理由ではなく、引き渡したばかりのお客様もいらしたので突然いなくなるのもどうかと考えたからです。
もうぜったい後戻りはできないところまで自分を追い込み退路を断ちました。そう、私は自分なりに”勝って”アートの世界に飛び込むことになったのです。
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