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2014/01/05

10周年企画(3)なぜこの仕事を始めたのか編

とにかく大量の仕事をこなす日々に予想だにしなかった仕事人間になってしまった私。本来ならそこまで仕事にのめりこむことなく適当に、そして周りの皆と仲良く、なあんて”事なかれ主義的”仕事環境をもくろんでいたはずなのに状況がそうはさせてくれません。でもこの段階でとことん鍛えられたのは本当に良かった。(と今では思える。)そんな考えを持っていた自分が恥ずかしくなるくらいきちんと仕事に向かうことの大切さを学んだからです

だんだんプロとしての自覚みたいなものも芽生えてきたその頃からごく稀にアートも探してほしいというお客様も現れてきました。しかしこれは手がけている物件の割合からいうと本当に僅かな数でした。たいていの方はまず絵を飾るという発想を持っていなかったんです。飾るとしても以前から持っていた作品とか、新築祝いにもらった作品(なかには絵が描くのが趣味という方からもらったのもあったり)、もしくはデパートの外商が持ってきた中でなんとなく選んだ作品などなど。むろんそれらが悪いわけではありませんが、細かなところまで打ち合わせをした住空間において、まったく雰囲気のそぐわないアートが主役の場にいる風景はいささか奇妙でありました。以前にもここで描きましたがバブルの残り香が漂う”くじらさん”や”ちっちゃい人たち”の作品にはいたるところでお目にかかったものです。

「良い作品が入るとそれはそれは素晴らしい空間に仕上がる!」それを何回か実際に目にした私はアートの重要性について考えるようになり少しずつ提案するようになりました。

その頃皆さんが一様に口になさってたのが「どこで家にふさわしい絵を探していいかわからない。」でした。このフレーズはその先私の頭にずっと残ることになります。

さあ、いよいよアートのオハナシが始まります。気になる方は続きをどうぞ!

当時アートの依頼があった際にはICたちは京都の石屋町ギャラリーの作品を選んでいました。そこだけが私たちICに門戸を開いてくださっていたからです。でもここを贔屓にしていたのはアートの大切さを知っているICだけ。そのあたりあまりこだわりのないICは大御所でもポスター程度の作品を提案していたようです。私は石屋町さんの作品が大好きだったので仕事を超えてそこに伺うのを楽しみにしていました。オーナーのS氏のセレクトはエクセレント!もともとアルフレックスにいらしただけあって住空間におけるアートのあり方を熟知なさっていたし、それに加えわかりやすさだけに迎合することなく作品のレベルとしても素晴らしい作品を扱っておられました。その意味で私が最も影響を受けた方といえるのです。本当にしびれるほどセンスの良いギャラリーでした。

これも以前書いたのですがそのSさんに「奥村さんのアート選びはとてもセンスがいいですね~」とお世辞を言われそれを真に受けた私の単純さがこの仕事を始める原動力になったのかもしれません(笑)。話は逸れますがアートの仕事を始めてからの一番の大勝負的仕事であった堂島ホテルでの展示の際にもSさんはわざわざ足を運んでくださり「これでいいんですよ、奥村さん。ホテルという空間で奥村さんがアートを飾るならこれがいいんです。これが正解なんです。」と展示内容をとても褒めてくださった時にかけてもらったその言葉はそれ以降つらい時にも私を支えてくれることになります。

さらにはその頃からアート好きのソウルメイトTさんの影響からパリやNYの旅行で現代アートに触れたり、普段の生活でもなにかしらアート情報を見つけては足を運ぶようになりました。

思い起こせはずっとアートは好きだったんですよね。芸大に行くほどの才能には恵まれていなかったけど高校の時は絵を描くのが好きだったし、それと、これ最近まで忘れてたんですけど(女子校時代の友人たちには「くみは昔のこと忘れ過ぎ!」て言われる)映画部にいて8ミリ映画(!!!)撮ってたりしてたんですよね。そうそう10代の頃から感覚的にちょっぴり”とんがって”たんだった、ワタシ(笑)。

ま、そんなこんなで”巷にはどうも良いアートがあるらしい、しかも一般にアートを探している人にそれらが行き渡っていないようだ”といったことがぼんやりわかってきたのです。でもまだそこをなんとかするという発想にはたどり着きませんでした。なにしろ毎日の仕事が忙し過ぎたので、、、

そして奈良に一人で常駐してから何年かすると私を取り巻く環境が微妙に変わってきました。社員の中にたった一人で部外者のような立場の者がいるのは、うまく回っているときはいいんですが、そうじゃない時は本当につらい。最初は良かったんですが、何年もいるとやはり私の存在を疎ましく思う人だって当然出てくるわけです。その後”暗黒の時代”がやってきて精神的にも相当追いつめられることになりました。

その時の話はつらすぎるので全部飛ばします(笑)。

ちょっと書いてみようかなと思ったんですが、書くことにより迷惑がかかる人だっているし、なによりそんな恨み言をここで披露するのは私の美学に反するからです。それに私自身にも相当問題があったと今では反省していますし。そうですね、私のアートアドバイザーとしての半生が朝ドラ化されたら全てお話しましょう、ふふふ。橋田寿賀子ドラマ的にはこの辺りが一番盛り上がるとことなんですが残念です、ふふふ。

でもそういう苦境の時には真の友人に巡り合えるものなんですね。ここでも時折登場するHしゃんとは立場は違えど何年にも渡り苦楽を共にすることになります。私は彼女のことを本当の妹のように思ってるんですが、その時期を一緒に乗り越えたこともすごく影響しているような気がするんです。

そしてその”暗黒の時代”が皮肉にも今の仕事に繋がっていくことになりました。。。続く。





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